2018/9/9(日)杵築城観光

こんにちは。福岡南店の山本です。

先日、所用で大分県の杵築市に行ってまいりました。
隙間の時間で少しだけ市街地を歩いてみました。

城とその城下町がメインの観光スポットはそれぞれ近接しており、短時間でもサクッと廻れるなあという印象でした。
その中で、杵築城をご紹介します。

杵築城は、別府湾の北に位置する守江湾に面し、南を八坂川、北を高山川に囲まれた立地です。

もともとはこのあたりは八坂郷の『木付』と呼ばれていたようで、のちに九州の大名としても有名になる豊後大友氏の一族がここに土地を与えられ、『木付』氏を称したとされています。そして木付氏四代頼直が1394年にこの地に城を築いたのが、木付城(のちの杵築城)の始まりだそうです。


1394年を調べてみると、日本史も世界史も大したことは起こっていないようです・・・

当時の日本は足利氏の統治する室町幕府の時代です。
この年に三代将軍義満がその子義持に将軍の位を譲っていますが、義満は太政大臣となりますます権勢を誇るようになっていきます。この2年ほどのちに、あの金閣寺が建てられます。

また、1394年は『くじ引き将軍』として有名な室町六代将軍足利義教が生まれています。


さてこの木付城ですが、江戸時代に『一国一城令』により破却され、城としての機能は別の場所に移ります。
その後、1712年に『六代将軍徳川家宣からの朱印状において「木付」の文字が「杵築」になっていたので、幕府に伺いをたて、依頼「杵築」と表記することになった。』(杵築城パンフレットより)だそうです。
ちなみになぜ杵築になっていたのかというと、どうもただの書き誤りのようです・・・。



前置きが長くなりましたが・・・城への道は隣接する神社の下にある駐車場から歩いていきました。
すると城のすぐ手前まで舗装された道になっていて、そこにも駐車場があり、車があればとても手軽に行けます。

天守のある敷地に入る門の手前に、特徴的なモニュメント?がありました。
そばには『創立1880年』『法政大学創立者顕彰碑』の文字が!

法政大学の歴史は、1880年に創立された『東京法学社』に始まるそうです。
そしてその創設者が、当時の杵築藩士である金丸鐡(かなまる まがね)さん、伊藤修(いとう おさむ)さんだそうです。
全く知らなかった、新たな発見でした。

天守へと続く道の門。とても小ぶりです。
奥には緑色の柵がありますが、埋蔵文化財の調査をいているという看板がありました。
柵の内側には、なぜかたくさんの石碑や石塔らしきものが・・・写真にはとっていませんが、不思議な光景でした。






天守が見えてきました。

冒頭に記したとおり、江戸時代に城そのものは破却されており、
現在あるのは模擬天守。
昭和45年に多くの有志の方の協賛により建てられたそうです。

正面から撮ると、さすがに小さいのが丸わかりですね・・・。
『日本一小さなお城』とも言われているようです。
3階建ての模擬天守は中が資料館のようになっています。

3階からの眺め。
左は国東半島方面、右は遥か東にうっすらと見える四国方面です。
天気があまり良くありませんでしたが、素晴らしい眺望です。

中の資料館も規模は小さいのですが、印象に残ったのは杵築出身の明治から昭和にかけての有名人の方々が紹介されていたところ。

河合操陸軍大将、堀悌吉海軍中将、豊田副武海軍大将。
みなさん杵築出身です。私も詳細な功績は知らないのですが、名前は聞いたことがあります。

そして・・・
重光葵外務大臣。

太平洋戦争終結時、日本政府の全権としてアメリカ戦艦ミズーリ号船上でポツダム宣言受諾の降伏文書に署名した、その人です。
こんな歴史上の偉人が杵築出身であったことに、本当に驚きました。

なお重光家は、観光スポットとして同じ杵築市内で見ることができます。

現地に到着してここまで、実際のところわずか20分程度なのですが、なかなか興味深い時間を過ごすことができました。